ノムさんの新人時代の清原評 | The Baseball kid’s

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ノムさんの新人時代の清原評


愛読していたノムさんの記事を鮮明に憶えている。
さすがだよね、ピタリ今の晩年の清原を当てている。
リンクしてるマーちゃんさんにも協力してもらっています。
記事の続きはマーちゃんのブログへ

ペナントレース前半戦。清原は弱点をさらけだした。内角球をバットの根っこ
で打たされていた。私の見誤りの原因は、強打者になる条件としては致命傷で
ある、この弱点へのこだわりであった。内角球を打つには最高のテクニックが
いる。これを会得するには、どんなに順応力を備えている選手でも最低一年、
ふつうは二年かかるのだ。だが、彼の進歩は私の目のはるか先にいってしまっ
たようだ。
清原の成績を支えているのは「修正」の能力だ。シーズン前半は手も足も出なかった内角の厳しい球を、脇をしめたおっつけでこなし、最近はい当たりのファウルにする。まだフェアにする力には乏しいが、投手をおどかすには十分だ。ホームランを打てる甘い外角球を投げてもらえるのはこのためだ。ホームランを打てる甘い外角球を投げてもらえるのはこのためだ。清原は久々の、そして全く新しいタイプの傑出した十九歳の野手だろう。シーズン後半の活躍を予測できなかった不明を認めていい。だが、私の本当の気分は、ここまでみてきた彼の”進歩”が面白くない。長い目でみれば、逆に災いになる不安すら感じる。かつて強打者と呼ばれた選手たちはデビュー時、いずれも内角に強く、下半身がうまく使え、腕の操作が巧みだった。必然的に「引っぱる」打者だった。清原は流すことで成績をあげている。外角に強いのはリーチの長い打者特有のものとはいえ、流し打ちはしょせん労力が少なくてすむ打法である。バースや落合の活躍を見習い、「とぶボールの時代だから、僕は楽な右打ちでいや」と悟ってしまっているのならこわいことだ。未熟-基本- 応用の階段を着実にのぼらず、未熟からすぐ応用へ走ってしまったツケはやがて払わされると思う。体をひらいて外角球を見逃す。苦手のところを空振りしてみせる。スタンスを変えてみせる。こんな投手との駆け引きは、天性の限界がみえた後、プラスアルファを出すためのものだ。清原の今は、天性・素質の限界をためす時期である。未熟時代は「ためし」、基本会得期は「おぼえ」、応用期は「みつける」ことに専念するのが常道である。投球への読みでは第一人者の山本浩二も大卒で入団後、しばらくは荒々しく素質の限界をためしていた。王が一本足打法に変えたのは、二本足で残せる数字の上限を思い知ったからである。清原は克明に対戦相手のデータをとっているという。これは応用期の作業だ。「未熟」から「基本」へ階段をのぼりかけた彼に、いまはかえって邪魔になる。

週刊朝日『プロ野球・野村克也の目』(1986年9月26日号)


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